M-1が終わる
M-1グランプリが終わる。
そう遠くないことだろうとは思っていたけれど、やはり10年目の今年だったか。
マンネリ化だとか、年々つまらなくなっているだとか、そんな批判も耳にはしていたけれど、新しい漫才師はどんどん生まれ、新しい漫才の風が毎年吹き、
まだまだ続くだろう、これからが楽しみな漫才師がたくさんいる、わたし自身はとてもわくわくしていたところだった。
単純に、さみしい。
M-1グランプリとNHKの「爆笑!オンエアバトル」は、わたしの青春のど真ん中にあった。
好きな芸人がオンエアバトルで年間チャンピオンに選ばれること、M-1グランプリで優勝すること、
それが中高生だったわたしにはとても大切で、
いちファン、いち視聴者とは言えないくらいの力の入れようだった。
「高校生だったらもう生きて行けないと思う。だから単純に高校生じゃなくてよかった。」
と、構成作家の業務用菩薩さんがtwitterでつぶやいていた。
業務用菩薩さんは、わたしとおそらく一つか二つしか歳が違わない。
なんだかその通りだと思った。
もしも高校生だったら。
もしかして、いま現在も、夢破れて、漫才師になることをなかばあきらめている若者もいるのかもしれない。
高校生のころ、ある女の子に誘われたことがあった。
M-1グランプリに二人で出ない?と。
結局出場することはなかったけれど、それほどに「M-1グランプリ」は、お笑い芸人やお笑い好きにとって「夢」だったのだろう。
ハリガネロックのユウキロックさんが、自分たちが出場していたころの話をしていた。
M-1で勝つための漫才を研究した末、最後の年はああいう形になった。
わたしにとって中川家やハリガネロック、ますだおかだはカリスマ的存在で、
あのときのハリガネロックは・・・
そうだなあ、、、どうしちゃったんだろうって感じで見ていた。
でもやっぱりM-1を獲りたくて、漫才が大好きで、まっすぐにぶつかっていた彼らが好きだった。
もちろん今も。
ユウキロックさんが、りあるキッズの安田君に
「お前らも今の歳で出してあげたいな。」と言っていた。
そうわたしもずっと思っていた。
20歳そこそこでコンビ歴10年を迎え、もう出られない。
安田君は「ずっとM-1戦士でいたかった」という。
彼らはわたしと同い年、まだ25歳だ。
ユウキロックさんは続ける。
「死ぬまで戦い、目標のある戦いなんか、ない戦いに比べればぬるいです。」
それに対する安田君の
「この歳で目標のない戦いを強いられる運命だと思います。」って言葉も、またしみた。
出場資格がなくなった者にとっても、M-1という大会は、そういう存在だった、ってことだ。
テレビにたくさん出て売れても、コンビの仕事が少なくなっても、
それでもM-1はいろんな芸人にとって「夢」であり続けた。
だから、南海キャンディーズもスピードワゴンもオリエンタルラジオも、
M-1の舞台に戻った。
吉本興業と朝日放送は、会見で「新しいイベント」という言葉を使っていた。
それに期待はしたいけれど、どうなるんだろうなあ。
今度は、コンビ歴10年も何も関係のない大会はどうだろうか、っていう声もよく聞く。
やっぱり、「漫才師たちの夢」であり、「視聴者の夢」であり、
テレビ好きにとっての「年末の風物詩」でもあった、そういう大会の存在は絶やしたくないよな・・・
システムや形は変わったとしても、
いつまでもそういうものがあり続けて欲しい。
もちろん、ほんとうに、純粋におもしろい漫才を探す漫才師とお笑い好きのために。
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業務用菩薩さんのtwitter
ユウキロックさんのtwitter
りあるキッズ安田君のtwitter
※ユウキロックさんのつぶやきは、Togetterでもまとめられています
M−1準決勝前夜&決勝進出者が決定した日、ハリガネロックのユウキロックさんが赤裸々に語る